
薬の離脱症状に苦しんでいる青海ゆうきです。
前回の話の続きを書いていこうと思う。
これまでのお話はこちらからどうぞ↓
「死」という選択
ベランダの柵をまたいだ僕には「死」への恐怖はあまりなかった。
ここから飛び降りれば全て終わる。
苦しいことから逃れられるし、この先苦しむこともない。
誰かを傷つけたり傷つけられることもない。
僕はとにかく「無」になりたかった。
だけど、僕が死んだら、妹はどうなってしまうだろう。
僕のたった一人の姉妹。
幼い頃から仲がよく、この世で最も大切な存在。
妹はまだ、親の秘密を知らない。
僕がこんな風になってしまったきっかけの事件のことも、僕が今死のうとしていることも、何も知らない。
何も知らない妹が僕の死を突然突きつけられたら、妹は自分自身のことを恨むかもしらない。
どうして助けられなかったのかと自分を責めるかもしれない。
そのことだけが気がかりだった。
死んでも、人の記憶から消えるわけじゃない。
A先生のことだってきっと傷つけてしまうだろう。
自意識過剰かもしれないが、残された人のことを考えると、ここから飛び降りたいという気持ちにかすかにブレーキがかかってしまった。
ここで何分過ぎたのかはわからないが、こんなことを考えていると遠くから声が聞こえてきた。
僕の名前を呼ぶ声。
聞き慣れたその声は、だんだんと近づいてきた。
この声を聞くと、その人の元へ走って行きたくなった。
けれど、その時の僕にはできなかった。
もう離れるって決めたんだ。
それに僕はこの時腕からかなり血を流していた。
この状態で見つかるのはまずい。
僕はベランダに降り、辺りを確認してから学校を去ろうとした。
しかし途中の廊下で運悪く別の教師に見つかり、腕をつかまれてしまった。
僕は必死に抵抗したがだんだん別の教師も集まってきて数人の教師に押さえられながら保健室へと連れていかれた。
外はもう真っ暗だった。
保健室にB先生もやってきたが、教頭と廊下に出て行った。
親を呼んで連れて帰ってもらうと誰かが言った。
僕は家に帰りたくなかった。
僕に触れる人全てに抵抗し、傷の手当もさせなかった。
僕に触れる人全てに敵意を向け、何故だか怒りがこみ上げてきた。
親が来ても僕は抵抗し続けた。
どこでもいいから誰もいないところへ行きたかった。
その時目に飛び込んできたのは、僕を見て笑う教頭の顔だった。
何が面白いんだ。
子供が駄々をこねるように暴れ、大人の言うことを聞かない僕がそんなに面白いのか。
何故、こんな状況で笑うことができるんだ。
怒りを通り過ぎて無気力になった僕は車に乗せられ、家へと運ばれた。
全て、捨ててしまおう
次の日、担任が家へとやってきた。
「治るまで学校には来ないでほしい」
そう言って帰った。
そのことを病院の先生に言うと、先生は少し困った顔をした。
多分、僕と同じことを考えていたんだと思う。
治るまでというのは、何が治るまでなんだろう。
自傷行為を止められたら?
自殺行為をしないと断言できるようになったら?
この苦しみが消えたら?
もし僕の病が治るまで学校に来るなという意味なら、僕はきっと学校には戻れない。
何の病気なのかもまだわからないのに、それがいつ治るかなんてわかるわけがない。
このことがきっかけで、僕は自分の病気についてネットで調べることにした。
精神的な病気をリストアップし、まず違うと思うものを消していった。
消していった病気の中には、自分に当てはまる症状が含まれるものもあったが、当てはまらないと思うものが多ければリストから消した。
そうして調べていると、ある障害の説明がまさに自分だと思うものが一つだけあった。
それが「境界性パーソナリティ障害(当時は境界性人格障害という名称)」だ。
しかし病名がわかったところで何かが変わることはなかった。
治療法も確立されていない、薬で治すこともできない、年齢を重ねるごとに症状がおさまっていくケースが多いというのも、今の自分には関係ない。
ただ、何なのかわからないよりは、こういう障害があると知ったことは僕にとっては良いことであったと思う。
それから、「治ったら学校に来ても良い」という条件は僕にはクリアできそうにないこともわかった。
それに、治ったと嘘を吐いて学校に戻ったとしても、僕はまた同じ過ちを犯すだろうと思った。
何よりも、B先生と会える距離にいながら会わないようにするというのは僕にとって苦痛でしかなかった。
空腹の人間の目の前に食べ物を置いて食べさせないのと同じで、自分の意志だけではどうにもならないことであると。
それならもう希望など捨てて、幻想も捨てて、先生に会えない状況を作るしかない。
それによってもし自分が壊れてしまっても、苦しみに耐えられずにまた自殺を企てたとしても、少なくともこの学校にいるよりは周りの人間を傷つけずにすむ。
他の人間にどう思われているかはわからない。
どうしようもない自分勝手な奴で、救いようもないネガティブ野郎だと思われているかもしれない。
あの教頭のように僕のような人間は正常な人間にとってはおかしいのかもしれないし、迷惑な存在なのかもしれない。
それでも僕の中には確かに、人を傷つけたくないという気持ちがあった。
学校、それから本当の自分にさよなら
ある決断を胸に、僕は学校へ行った。
職員室にいる担任のところへ行き、転校したいと話した。
担任は承諾し、転校先の学校を紹介してくれた。
全日制の学校では難しいということ、家の事情でバイトをしながらでも通える学校がいいという僕の希望で、公立高校の通信制を紹介してくれた。
すぐに転校できるわけではなく、入学は年に2回と決められていて、次の入学は9月。
学校に戻ったのは5月だったのであと4ヶ月ほどあった。
夏休みを除けば実質3ヶ月。
その3ヶ月だけは、学校に戻らせてほしいと担任に頼んだ。
転校の手続きもあるし、絶対にこないだのような事件は起こさないと約束をして最後の3ヶ月をこの学校で過ごせることとなった。
こんなに苦しいことがたくさんあった学校だけど、僕はこの学校が好きだった。
必死に受験勉強をして合格した学校。
幼稚園の時にすごく仲のよかった友達との再会。
休んだり、寝てばかりな授業も本当は好きだった。
授業を担当してくれていた先生たちはとっても個性的でとっても頭が良くてとっても面白い人たちだった。
本当に苦しい学校生活だったけど、それでも学校は大好きだった。
だからせめて最後の3ヶ月だけでも、学校に戻りたかった。
学校に行くたび、あと何日だ、とカウントダウンしていた。
楽しいことも、苦しいことも、思い出のある場所には何度も行き、しっかりと記憶に刻んだ。
B先生と過ごしていた一年生の頃のこと、一緒に過ごした教室、僕にかけてくれた優しい言葉、その腕の温かさ、抱かれている時の安らぎ、離れている時間の苦しみ、僕を呼んだ声、僕せいで流させた涙、その一つ一つを思い返した。
転校を決めてから数週間後、一年の時の担任で病院へ連れて行ってくれたA先生に放課後呼ばれた。
担任から転校のことを聞いたらしかった。
「どうして転校するの?」
A先生は優しく僕に言った。
「家の金銭的な問題。この学校はバイトさせてくれないし」
もし誰かに転校の理由を聞かれたら、こう言おうと決めていた。
この返答に先生は全く納得がいっていない様子で、
「どうして自分を犠牲にするの?」
とまた優しく言った。
先生は僕の心を全て見抜いていた。さらに、
「私は転校に反対です」
と言った。
「学校が好きでしょう?本当は転校なんてしたくないんでしょう?どうしていつも自分を犠牲にするの?ここに居たいなら他の人のことなんて考えないで居たらいいの。その権利が貴女にはあるのよ」
「人を傷つけて生きていい権利なんて誰にもないよ」
先生は、何を言っても転校に反対した。
「転校して貴女が救われるとは到底思えない」
本当は、転校なんてしたくない。
そう言うことができなかった。
でも先生の言葉が嬉しかった。救われた気がした。
誰にも本当の自分の気持ちを知られることなく死んでしまうのはとても悲しいことだ。
だけど僕の気持ちは先生がわかってくれている。
先生はいつも正しかった。
それは一般的な正義ではなく、僕にとって最善だと思われる答えをいつも与えてくれていた。
先生はいつも僕のことを見ていてくれた。
僕がどんな態度をとっても、どんな嘘をついても、全て心の内を見透かしていた。
そんな先生に出会えたことは、この学校に来て一番良かったと思えることだった。
だけどもう、遅かった。
僕の心は疲弊しきっていたし、この学校を去ることで何もかも終わらせようとしていた。
その後自分がどうなろうとどうでも良かった。
きっとそのことも、先生にはわかっていた。
だから何を言っても先生を納得させることなんてできないと思った僕は、
「この学校にいると辛いんです」
とだけ言って、教室を去った。
9月、最後の登校の日。
自分のクラスが体育の時間を狙って僕は帰ろうとしていた。
机を片付けているのを見られたら、早退する理由なんかを聞かれて面倒だと思ったからだ。
ちょうど午後の最初の授業が体育で、僕はいつも行っていた誰もいない別の教室で昼休みを過ごし、午後の授業が始まったあと教室へ戻り最後の片付けを済ませた。
教室を出て廊下を歩いていると、隣の隣のクラスでB先生が授業をしていた。
窓が開いていたので先生のほうへ視線をやると一瞬だけ目が合ったが僕はすぐに視線をそらし歩き続けた。
そのまま職員室に行き、担任に挨拶をしてから職員室を出るとA先生が廊下で待っていた。
見送りをすると言い、校舎の外まで一緒に歩いた。
その間、僕たちは何も話さなかった。
ここでいいよ、と僕は言い、先生と向き合った。
「色々とありがとう」
先生もきっと色々と言いたいことはあっただろうけど、ほとんど何も言わず、僕は校門へ歩いた。
学校の敷地を出て、振り返ってももう先生が見えないところまでくると、それまで我慢していたものが溢れ出て、その場で泣き崩れてしまった。
学校での思い出が走馬灯のように頭をかけめぐり、何か大事なものをなくしてしまったような気がした。
涙はしばらく止まらず、声を上げて泣き続けた。
昔から泣かなくて手のかからない子だと言われていた僕。
僕がこうなってしまった時(病み始めた時)、その時僕は壊れたんだと思っていた。
それまでは正常でそれからが異常だったのだと。
だけど本当は、それまでが異常で、それからが正常だったのではないか。
過剰に人から嫌われるのを恐れて、親に見捨てられないようにいい子を演じ、苦しいとも辛いとも人に言ったことはほとんどなかった。
辛いことも辛いと認識しないように無意識に感情を殺して生きてきた。
そのこと全てがすでに障害の始まりであった。
あるきっかけで僕は自分の感情を制御できなくなった。
人に依存した。
自分も人も傷つけた。
それは傍から見れば異常である。
だけど僕は、それまで封印していたものの蓋が開いただけで、これが本当の自分の姿だと感じていた。
つまり、僕のこの学校での日々は本当の自分でいられた時間であった。
そしてこの学校を去った今、また僕は、心を封印しようとしていた。
泣き疲れ、涙が枯れ、頭が真っ白になった。
そうして僕は、学校と、本当の自分に、さよならをした。