
夜の寒さに耐えられない・・・どうも、青海ゆうきです。
最近知って気に入ったバンドとして以前にDADAROMAの記事を書いたが、今回も割と最近知ったバンド「DEZERT」の記事を書く。
DEZERTについて
2011年、ボーカル千秋ベースSacchan、元メンバーのギターキラを中心に結成されたビジュアル系バンド。
結成してからしばらくはネットや雑誌でのプロモーションは行わず口コミでバンドを広めっていった珍しいタイプ。
ドラムのSORAが加入、ギターのキラが脱退したのちにのMiyakoが加入し現在のメンバーとなる。
同じ事務所の先輩であるMUCCとはとくに交流が深く、MUCCミヤ主催のライブイベント「COMMUNE」には2回出演、DEZERT主催のイベント「THIS is the FACT」にはMUCCが出演している。
MUCCのトリビュートアルバム「TRIBUTE OF MUCC -縁 [en]-」では「アカ」をDEZERTが演奏している。
MUCCとDEZERTでは曲調も音もボーカルの声も全く違うのだが、どこか懐かしい感じがするという共通の感触がある。
グロかっこいいおすすめ曲5選
ビジュアル系と言えばグロい歌詞に救いのない絶望感というイメージがあるだろう。
DEZERTもたしかにグロテスクな一面もあるのだが、血がべったりまとわりつくようなサイコホラー的なグロさではなく、哲学的要素が入ったサイコミステリー的なグロさと言ったほうがしっくりくる。(ただしPVはグロい)
ラウドやメタル要素もあり、どこか懐かしさも感じるグロかっこいい曲を僕なりの解釈をまじえながら紹介していくので是非読んでいただきたい。
幸福のメロディー
2017年に発売された「撲殺ヒーロー」に収録されている曲。
幸福とは何か、ということをDEZERT流に定義した歌詞で、一般的な幸福論とは全く違う。
前回椎名林檎の記事で紹介した「鶏と蛇と豚」とも共通している部分があって、痛みや苦しみを感じるのは生きている証拠で、何もない(何も感じない)というのは死んでいるのと同じことだ、というメッセージが隠れているように思える。
最近僕は、自分自身の変化について考えていたところだった。
昔は感情の起伏も激しく、誰かに依存したり、誰かを愛しては恨んだりとかなり困った人間であった。しかし対人関係がうまくいかないことでだんだん人を避けるようになり、他人に深入りしないようになった僕は、自分自身を恨むようになっていった。
そうして自分を恨み、虚無感を紛らわせるために自傷行為をし、痛みを感じることで生きていることを確認していた。
しかし最近になって、10年以上恨み続けていた人のことを思い出すことが少なくなり、負の感情がだんだん消えていった。
感情を表に出すこともなくなり、他人に自分の感情が原因で迷惑をかけることもなくなった。
昔の僕を知っている人からすれば、それは成長であるし、病気的には良くなっていっているように見えると思う。(僕の障害についてはこちらをご覧ください)
しかし僕は、自分が無になっていくのを恐れている。
今の感情の薄れた僕は、生きている気がしない。
毎日ただ時間が過ぎていくだけで、僕という存在がどこかへ行ってしまっている。まるで僕の身体を通して映される映像を遠くから見ているように。
何もない平穏な生活でも生きていける人はいる。だけど僕のような人間は、痛みがないと生きていけないのだと思う。
こういう僕のような人間にはこの「幸福のメロディー」の歌詞は非常に共感を得る部分が多いだろう。
ビジュアルロックらしい今にもシャウトが始まりそうな重厚なイントロから始まるが、この曲にはシャウトはほとんどなく、メロディーはいたって聴きやすい。
なおPVはグロテスクな場面が多いので注意。
「遭難」
2014年に発売された『僕の「誤解」と右折禁止のルール違反』に収録されている曲。
ノスタルジックでオルタナティヴ・ロックに近い要素もあり、シューゲイザーにも近い雰囲気が漂う。
日本の有名なビジュアル系バンドで言うと、Plastic Treeの曲の雰囲気に似ているだろうか。
今までのバンドサウンドがガンガン鳴り響く曲とは違い、全体的にふわふわしていて浮遊感があり、消えていきそうな意識が表現されているなと感じた。
何となく洒落ている感じの曲だが歌詞の内容はかなり切ない。
「幸福のメロディー」が入っている「撲殺ヒーロー」にピアノバージョンが収録されている。
「変態」
2016年に発売された「完売音源集-暫定的オカルト週刊誌②」に収録されている曲。
この曲はDEZERTのボーカル千秋が自分自身のことを客観的に見て千秋自身に投げかけている言葉が歌詞になっている。
バンドをやっていると必ずと言っていいほどぶち当たる壁がある。
自分達がやりたい音楽とは何なのか?自分達が目指しているのは何なのか?
お金がなければバンドは続けられない。お金になる曲を作っていけば自分達のやりたいことができなくなる。
そういう葛藤は避けて通れないだろう。
過去に紹介したDADAROMAの「いいくすり」やCoccoの「水鏡」も歌手である自分の存在について書かれている。
こうした歌手としての在り方や疑問を曲にしているバンドは多く、やりたい音楽だけを作る、自分の表現したいことだけを歌う、というのはとても難しいことなのだと考えさせられる。
好きなことを仕事にしないほうがいい、という言葉をよく聞くが、つまりはこういうことなのではないだろうか。
なお、こうした内容の曲はだいたいの場合シリアスな雰囲気の曲になりがちだが、「変態」はアップテンポでノリが良く、歌詞の意味を考えずに聴くと、「変態」という言葉が印象に残るライブ用のおちゃらけた曲として認識されることだろう。
それがDEZERTは強いな、と感じた部分でもある。もしかしたら、こういう内容の曲を真面目に歌うのがバカらしいと思っているのかもしれない。勿論推測の域の話だが。
「殺意」
2014年に発売されたアルバム「タイトルなし」に収録されている曲。
ボーカルの千秋がある人に抱いた「殺意」を歌った曲。
歌詞は8割が「殺意」という面白い構成でこれを聴くとムックの「大嫌い」を思い出す。
殺意以外のフレーズは2つだけでサビでは、
頭がもう初期化しそう…初期化しそう
「殺意」/DEZERT より
と、まるでゆらゆら揺れながら歌っているようなメロディーだ。
激しく息継ぎもほろんどないようなAメロからのこの歌詞、たしかに息が苦しくて頭が初期化してしまいそうだ。
それから最後には、
なぜ君を思い出すの…量産型の音楽だけ金に変えて生きる君を…
「殺意」/DEZERT より
というフレーズが。このフレーズで千秋がどういう人に殺意を覚えていたのかが想像できる。
シャウトで叫び続けたり呟き続ける部分と、キャッチーながらも不気味なメロディー部分とのメリハリがありとてもバランスのとれている作品だ。
胃潰瘍とルソーの錯覚
こちらもアルバム「タイトルなし」に収録されている曲。
タイトルのルソーの錯覚は元は「ソジーの錯覚」である。
ソジーの錯覚とは、家族や恋人など親しい人間が瓜二つの替え玉入れ替わっているという妄想を抱いてしまう精神疾患の一種で、わかりやすく言うと偽物だと思いこんでしまうという疾患だ。
ソジーの錯覚をそのままタイトルにするのは恥ずかしいのでそこをルソーに変えたというわけだが、ルソーにすることによってタイトルが文学的になり歌詞も深みが増したような錯覚に陥る。
DIR EN GREYの「FILTH」、Dの「赤き羊による晩餐会」、LIPHLICHの「大計画」のようなサイコホラー的で少しグロテスクな歌詞だが、最初から最後までクリーンボイス(シャウトやデスボなどなし)である意味猟奇的で不気味に歌い上げている。
「人は、実際の恋愛対象よりも、自分で心に描き出した相手の像の方を一層愛する。
人がその愛する者を正確にあるがままに見るならば、もはや地上に恋は無くなるだろう」
というルソーの格言がこの歌にはピッタリと当てはまっているように感じた。
まとめ
ビジュアル系バンドとして着実にファンを増やしてきたDEZERT。独特の気持ち悪さと哲学的要素を含んだ歌詞は、ある意味きどらない人間本来の感情を歌ったものではないだろうか。
今回紹介した曲は2017年より前に発売されたものばかりだ。
2018年に発売されたアルバム「TODAY」はそれまでとはまた違うDEZERTの魅力に溢れた人気の高いアルバムなので、興味がある人はそちらも聴いてみてもらいたい。
DEZERTが今後どのような曲を作っていくのかがとても楽しみだ。