鬼束ちひろの寂しくて切ないおすすめ曲5選を紹介。孤独、依存、それから愛を歌姫が叫び歌う

音楽
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マイナーコードが大好きな青海ゆうきです。

 

季節はすっかり秋だ。

今年新潟は最高気温40度を記録して、暑さに弱い僕は死んだ虫のように干からびていた。

そんなくそ暑い夏はようやく終わり、過ごしやすい日々が増えてきた。

しかし過ごしやすい季節というのは外から受ける気温のストレスがない分どうしても一人で考え事をしたり、ネガティブになりやすい季節でもある。

前回の記事を書くために、執筆中はずっとDIR EN GREYの曲を流していたのでなんだか心が重たい。

すぐ感化されてしまう。

こういう気分の時はさらに感傷に浸るために悲しい曲を連続して聴くに限る。

 

前回までビジュアル系バンドの記事ばかりを書いていたのだが、今回は女性ボーカルでビジュアル系ではない人の曲を紹介しようと思う。

女性ボーカルでこのブログにふさわしい人と言ったら僕の中では3人すぐ思い浮かぶのだが、その中の一人、鬼束ちひろについて紹介する。

 

 

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鬼束ちひろについて

 

2000年2月にデビューした鬼束ちひろ。

1stアルバム「インソムニア」はミリオンセールス(この頃はまだCDが売れる時代だったなぁとしみじみ)を記録している。

代表曲はたくさんあるがやはり「月光」だろうか。

阿部寛と仲間由紀恵のドラマ「TRICK」の主題歌だ。

鬼束ちひろの曲はドラマやCMに使われることが多かったので他にも聴いたことのある曲はたくさんあると思う。

 

CDの販売数や賞の受賞などで歌手としての地位を確立してきたが、ハードスケジュールで体調を崩し緊急入院で公演をキャンセル。

2010年頃には、交際相手からのDV被害で骨折をするほどの大怪我を負い、さらには自殺未遂、となかなか波乱万丈な生き方をしている。

 

ちょうどその頃から、今までの清楚な見た目からは一変して、パンクロッカーのような濃いメイクになり、まるで別人のようになった。

その後徐々にメイクは薄くなって今ではデビュー当時と変わらないぐらいになり、来年にはパリで単独公演も決まっている。

鬼束ちひろと言えば、ステージでは裸足で、全身で曲を表現する見た目にも魂のこもった歌い方をするのが印象的だ。

歌声も特徴的で、この間店で買い物をしている時に店内BGMで彼女の歌が流れていたのだが、すぐに「あ、鬼束ちひろだ」とわかった。

声も勿論良いのだが、歌詞がとにかく美しい。

デビューから中期ごろまではほどんど詞を先に書いていて曲は後からつけていたとか。

僕が大好きなマイナーコードの曲も多いが、メジャーコード系の曲でも切ない歌詞と儚くも力強い歌声がとても心地よい。

そして何より、僕と同じ匂いがする。

 

鬼束ちひろの寂しくて切ない曲5選

 

今回は鬼束ちひろの寂しくて切ない曲を5曲選んだ。

傷ついたり悲しい時に聴くと思わず涙がこぼれてしまいそうになる曲を紹介する。

それと僕なりの歌詞の解釈も書いていく。

 

 

infection

 

2001年9月に発売された鬼束ちひろ5枚目のシングル。

ドラマ「氷点2001」の主題歌で僕もこのドラマを観て曲を知った。

infectionは「感染」という意味だが、伝染病というよりは自分の中にある感情が負の連鎖をしていき「悪い方向に向かっている」というような意味だと思う。

ピアノの伴奏から始まり、徐々に弦楽器の音色が加わっていき、最後は壮大なオーケストラが彼女の歌と一緒に曲を奏る。

遠くで鳴るタンバリンの音がまるで今にも砕けてしまいそうな鼓動を感じさせる。

 

爆破して飛び散った心の破片が
そこら中できらきら光っているけど
いつの間に私はこんなに弱くなったのだろう

出典:作詞作曲/鬼束ちひろ 歌/鬼束ちひろ「infection」より

 

 

曲のリリース直後にアメリカの同時多発テロ事件があり、サビの歌詞がこれを彷彿させるということでしばらく曲のプロモーション活動を自粛していた。

プロモーションは行わずとも、素晴らしい作品は次第に評価されるものだ。

生きていくために必死に嘘の言葉を発したり、周りに認められる自分を演じていく。

自分の中にある弱さに気づかないふりをしていくうちに、心の闇は次第に深くなっていく。そんな歌詞だ。

太宰治の「人間失格」の記事でも同じようなことを書いた気がする。

好きなものには共通するものが多いということだ。

 

二番のサビ明けのCメロが感情のピークで、一番心が痛くなる部分だ。

終始暗喩的な歌詞。

具体的に何がどうしてそうなったかは聴いている人自身の物語に溶け込んでいく。

僕の一番好きな鬼束ちひろの曲。

今でもこの曲を聴く度に心が締め付けられ、ちょっと吐きそうになる。

 

 

僕等バラ色の日々

 

2007年9月に発売された鬼束ちひろの13枚目のシングル。

このタイトルだけを見ると、とても明るい曲のように感じないだろうか?

バラ色の人生という表現があるが、バラ色の日々はさぞ希望に溢れて明るい日々なんだろう。

だがしかし、この曲はそういう短絡的でハッピーな曲ではない。

 

今度はうまくいくかもしれない、この世界にはまだ希望がある、ということを思っては裏切られる。

そんなことを繰り返す人間を客観的に見て嘲ている。

 

人は迷子になるという事を抱いて歩いていけるから
どうぞ手を離して 何度傷跡が消えても
繰り返す まるで過ちのように
ああ 僕等バラ色の日々

出典:作詞作曲/鬼束ちひろ 歌/鬼束ちひろ「僕等バラ色の日々」より

 

 

「何度傷跡が消えても繰り返す」ことを「まるで過ちのように」と言っているのは、何度でも立ち上がるという前進であり人の強さだという良い意味ではなく、それは過ちのようにただ繰り返していくだけなのに、という悲観的なとらえかたを倒置法でしている。

そして最後に「ああ僕等バラ色の日々」という皮肉を込めた捨て台詞で締めくくっている。

一番最後にもこの台詞が歌われるのだが、その悲しげな声は「バラ色の日々であったらどんなによかっただろう」という彼女の皮肉の裏に込められた願いのようにも聞こえる。

 

 

帰り路をなくして

 

2009年7月に発売された鬼束ちひろの16枚目のシングル。

歌詞は公式コメントで「仕事に、人生に疲れた男たちの応援歌」「光と闇」という風に語っている。

発売日が皆既日食の観測日であるというこだわりっぷりだ。

 

この曲もまた暗喩表現の多い歌詞で、どんなイメージなのか掴みにくい曲なのだが、一番と二番のBメロの歌詞と公式コメントを参考にすると、働いている人(社会人)の男性の歌だということが推測できる。

勿論、元気に働いて明日も頑張るぞ、というような歌ではない。

かつて描いていた夢を掴んだつもりなのに、どこか寂しいのはどうしてだろう、というようなニュアンスがある。

殺伐とした世の中を生きていく辛さと、それに負けないようにもがいている人間の姿が思い浮かぶ。

 

サラリーマンの男性がスーツを着て、夏の昼間にビルの合間を歩いている。

そこで日が陰ってきて日食が起きる。

自分の過去と現在を照らし合わせて哀愁を帯びた瞳で、その太陽と月(つまり光と闇)を見つめている。

そんなイメージを僕は持った。

タイトルの「帰り路をなくして」は家への帰り路ではなく、過去にはもう戻れないという意味があるんじゃないだろうか。

 

 

月光

 

2000年8月に発売された鬼束ちひろの2枚目のシングル。

言わずと知れた名曲であり、彼女の代表曲と言っても過言ではない(本人は嫌みたいだが)。

ピアノとアコギのイントロから始まり、出だしの歌詞(その後のサビ)のインパクトが大きい。

 

I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

出典:作詞作曲/鬼束ちひろ 歌/鬼束ちひろ「月光」より

 

 

私は神の子、というのはどういう意味なのか。

歌詞を読み解いていくと、この「私」は期待を背負わされて、それに応えようとして傷ついていく一人の人間なのではないかと僕は思った。

こんな腐敗した世の中に、こんな期待を背負うために生まれたわけではないのに、という彼女の嘆きが繰り返されている。

 

先に紹介した「僕等バラ色の日々」のように、自分の客観的な位置づけを言って、それに対してどう思っているのか、ということがこのサビの部分で全て詰め込まれている。

その「私」は全てに絶望しながらも、まだ諦めているわけではなく救いを求めているように感じる。

随所に疑問系で歌詞が書かれているのは、自問自答しているのと同時に誰かに助けてほしい、誰かに答えてほしいという希望なのではないだろうか。

 

この曲を聴き始めた当初は、「私は神の子」の意味がよくわからないまま、なんとなく全体的な歌詞と曲調が好きだなぁといった感じで聴いていたのだが、今のような解釈に至った時に急に涙腺が崩壊してしまったのを覚えている。

期待されて生まれてきた存在、というのが自分に当てはまって苦しかった子供時代のことがフラッシュバックしてきた。

それからこの曲は、自分の存在を確認する手段の1つになった。

悲しい曲だが、自分を映し出すような音楽に僕はいつも救われている。

自分の存在への肯定とでも言うのだろうか。

 

 

私とワルツを

 

2003年11月に発売された鬼束ちひろの10枚目のシングル。

月光は「私」が中心の曲だったが、私とワルツをは私と貴方の二人が描かれている。

そしてこの曲は「私」よりも、「貴方」の人間性の方にスポットが当たっているように感じた。

 

失う時がいつか来ることも
知っているの 貴方は悲しい程
それでも何故生きようとするの
何も信じられないくせに
そんな寂しい期待で

出典:作詞作曲/鬼束ちひろ 歌/鬼束ちひろ「私とワルツを」より

 

 

「私」は「貴方」に依存してしまったんじゃないだろうか。

僕はかなり依存体質で、今でも油断すると誰かに依存してしまいそうになる。

その誰かは「誰にでも優しい人」という共通点がある。

 

誰にでも優しい人は、普通なら距離を置かれるはずの自分にも優しく接する。

そんな優しい人に対して

 

「どうしてそんな風に生きていけるの?この世の悲しみや苦しみを知っているはずなのに。本当は誰も信じられない私と同じような人間なのに。誰にでも優しいふりをして孤独に生きるのならせめて私にだけ全て打ち明けて」

 

という「貴方」へのメッセージが「私とワルツ」をなのだと思う。

二人は恋人のような関係性であることは歌詞からなんとなく読み取れるが、良好な関係を築いているわけではなく、依存してしまった相手との先のない未来を嘆いているような歌だという風に感じた。

人間の優しさに傷つけられてしまった「私」は優しい人間が怖いと思いつつも、優しい貴方に惹かれてしまう。

そして、誰も傷つけないように優しく振舞う「貴方」。

優しさとは何なのかということもこの曲のテーマなのではないだろうか。

「私とワルツを」はずっと四拍子で進んでいくのだが、間奏だけ三拍子(ワルツ)になっている。

こんな風に依存されてでも一緒にいてくれる女性がいたら、僕なら共依存の関係になっているだろうなとちょっと「貴方」のことが羨ましくなった。

 

 

まとめ

 

鬼束ちひろの曲は自分と重なる部分が多く、まるで自分の人生を代弁してくれているような曲が多い。

この人自身が病んでるかどうかは本人に会ったことがあるわけではないので何とも言えないが、病んでいる人にはとくにおすすめできる。

 

自分の存在意義に悩まされている人、孤独や虚無感を感じている人、誰かに依存してしまいそうになる人(つまり僕のような人間)には共感を得る歌詞が多い。

是非、聴いてみてほしい。

今回紹介した曲はベストアルバム「GOOD BYE TRAIN 〜ALL TIME BEST 2000-2013」に全て収録されている。

 

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