小説「ラプラスの魔女」をレビュー。遺伝は絶対なのかというテーマはこの小説にも潜んでいた

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一ヶ月以上、毎日目眩がする青海ゆうきです。

 

去年の暮れに櫻井翔主演の映画「ラプラスの魔女」をDVDで観たのだが、サスペンス好きなのにも関わらず途中で観るのを止めてしまった。

何回か再生しなおして観たのだが、疲れていたのか話が頭に入ってこず結局よくわからないまま返却してしまった。

そんな「ラプラスの魔女」だが、つい先日原作のほうを読み終えた。

小説のほうはとても面白く、人に勧めても良いと思ったのでレビューすることにする。

今回はレビューにネタバレになりそうな内容も含まれているので、ネタバレを見たくない人は読まないほうがいいかもしれません。

 

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ラプラスの魔女について

 

著者の東野圭吾さんの本にについてはこれまでもレビューをしているので紹介は割愛させてもらう。

ラプラスの魔女は2015年に刊行された単行本で、東野圭吾作家デビュー30周年記念作品。

発売から一ヶ月で28万部を超え、2018年2月24日に文庫化、同年5月4日に映画化された。

 

 

あらすじ

 

妻と赤熊温泉に旅行で訪れた映画プロデューサー水城義郎は、山道で硫化水素のガス中毒によって死亡する。

事故調査をした青木教授はいくつかの疑問を抱いていた。

それから今度は苫手温泉で売れない役者、那須野五郎が同様に硫化水素によるガス中毒で死亡する。

新聞社の依頼で苫手温泉の調査もしていた青木は、赤熊温泉の調査の時に出会った少女、円華と再会する。

円華は二つの温泉地を訪れある人物を探していた。

青木は現場の状況から、いくつか疑問点はあるものの自然災害による事故死だと結論づけていたが、円華との出会いによりそれは間違いなのではないかと思い始める。

青木は亡くなった水城義郎と那須野五郎について調べるうちに、映画監督の甘粕才生のブログへたどり着く。

そこには家族を硫化水素によって亡くした悲惨な過去が書かれていた。

 

 

レビュー

 

以下ネタバレ要素ありのため注意

 

東野圭吾の作品は様々なトリックを用いて読者をあっと言わせるような展開の作品が多い中、「ラプラスの魔女」にはそういう人為的なトリックはほとんどない。

物理法則を把握することができれば未来を予測できる、という前提のもとその能力がある二人の人物が物語の中心にある。

一人は事故で植物状態になり手術をする過程で自分の意志とは別に得たもので、もう一人は自ら望んでその能力を得た者。

前者にはその能力を共有する仲間がいなかったということ、後者には始めから同じ能力を持つものが傍にいた、という点で、どういう風にその能力を使うかに違いが出ているように思えた。

 

作中ではマウスの例を元に、残虐な殺人犯はある種の欠陥が脳にあって環境の影響はほとんどなく、遺伝によるものが大きいという羽原全太郎の言葉がある。

つまり、甘粕家には少なくとも祖父の頃からその欠陥が脳にあり、才生も謙人も同じような欠陥がある。

わかりやすく言えばサイコパスに近いということ。

謙人は家族を殺した才生に対して、(自分の完璧主義のために家族を殺すなんて)「狂っている」と言うが、謙人も復讐のために二人殺している。

理由や経緯は全く違うものの、結局人を簡単に殺しているという二人が最後に殺し合いをするというラスト。

謙人は才生を殺したあと自分も死ぬつもりだったらしいが円華によってそれは阻止される。

その生かされた命を今後どうするのか、というのが僕は気になった。

遺伝は絶対なのか、環境によりそれが変化することはないのか。

このあたりは純文学によく出てくるようなテーマだなという印象を持った。(これを書いている最中に「共喰い」のレビューでも同じようなことを書いたことを思い出した)

羽原全太郎の言葉通りならば、謙人は変わることはなく事情次第ではまた殺人を犯すかもしれない。

謙人の行方がわからないまま話が終わる、ということ、そして円華がボディーガードの武尾に「この世界はどうなるのか?」という質問に「知らないほうが幸せ」と答えているあたり、この世界には明るい未来も希望もないバッドエンドだという印象で物語は終わった。

僕は変に希望を持った終わり方よりもこういう終わり方は結構好きだ。

 

 

大多数の凡庸な人間たちは、何の真実も残さずに消えていく。

(中略)

そんな人間は生まれてきてもこなくても、この世界には何の影響もない。

 

才生は自分のような奇才や天才が世界を動かしているのであって、他の凡庸な人間はいてもいなくても同じだという発言をするのだが、それに対して謙人は

 

人間は原子だ、一つ一つは凡庸であっても集合体になった時、劇的な物理法則を実現していく。この世に存在意義のない個体などない

 

と反論する。

そして物語の最後に、上の命令で捜査を止めさせられた中岡の上司は

 

所詮俺たちは駒だ。しかも、歩だ。世の中を動かしているのは、もっともっと上の存在なんだ。

東野圭吾「ラプラスの魔女」/角川書店 より

 

と中岡に諭す。

多くの人間はこの世の中を動かしているのは影響力のある存在だけで、平凡に生きている庶民には何もできないと思っている。

しかし普通の人間よりも未来が見えている謙人はそうではないと言う。

つまり、この世界の未来を作っていくのは特定の人間だけではなく、一見無意味で無価値そうに見える人間たちだと言っているのだ。

先ほどの円華の言葉と合わせると、未来は一人一人の手にゆだねられている、ということなのかもしれない。

 

 

甘粕才生について

 

自分の理想とは違う家族を殺し、ブログで自分の理想通りの家族として描き、それを元に映画を作る。

完璧主義ゆえにとあるが、才生は家族と親しかった人間(たとえば妻の親族や娘の友達など)の記憶には残っているということをどういう風にとらえていたのだろう。

僕も嫌になるぐらい完璧主義なところがあって、もし才生のように事実を作りかえなければならないと思ったら、当事者を殺すだけでは完璧だと思えない気がした。

そして家族が硫化水素で自殺をして残された自分の絶望からの脱出という話がノンフィクションだから売れるというのも、かなりの勘違いだと思った。

芸術家肌のサイコ野郎として甘粕才生は描かれたのかもしれないが、僕にとってはただのイタイ人にしか見えなかった。

 

 

ラプラスの悪魔について

 

「ラプラスの悪魔」というのは東野圭吾さんが作った架空の設定かと思ったのだがこれは実際に存在するものだった。

ラプラスの悪魔とは、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された概念で、超人間的知性のこと。

ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力をもつがゆえに未来を含む宇宙の全運動を確定的に知ることができる、というものだ。

ただしラプラスの死後、20世紀に入ってから量子論の登場によりラプラスの悪魔は完全に否定されている。

ちなみに作中に出てくる「ナビエ・ストークス方程式」というのも実際に存在する方程式だ。

こういう物理法則や概念をストーリーの土台にするというのは東野圭吾さんらしいなと感じた。

 

 

MUBOOK的評価

 

悲しい ★★★☆☆
切ない ★★☆☆☆
苦しい ★★☆☆☆
暗い  ★★★☆☆
重い  ★★☆☆☆

合計 12/25★

 

病んでる度50%

 

 

まとめ

 

今までの東野圭吾さんの作品とは少し違った雰囲気を持つ「ラプラスの魔女」。

ミステリー・サスペンスだがファンタジックな世界観を楽しむことができる作品だ。

是非読んでみてもらいたい。

 

 

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